塾生日記『愚放塾3ヶ月の僕の体験手記』れい

僕はあまり人生の進路を自分で考えたことが無く、大きなトラブルがあっても親が解決してくれていた。また、人間関係もたまたま恵まれていただけで、新しい場所でうまくやっていく自信が無かった。そうやって高校まで過ごしてきたが、大学に進学するにあたって、自分がとても高卒程度の精神年齢、経験、自立心を持ち合わせていると思えず、不安を抱えていた。不本意な学部を目指したのも悪かったのかもしれない。それでも、大学以外の進路は考えられなかったので、受験には臨み、無事合格することができた。
大学に入ってからはやはり、主体性の無さ、自己管理の甘さ、人との距離の置き方の稚拙さ、自分の在り方への自身の無さなどが原因で一学期早々出席日数不足で単位が2単位しか取れなかった。その年の冬には完全に引きこもりになっていて、日光が嫌いで、意識があるのが苦痛で、学校にも行く気にもならず、他人が怖くて、こんな自分の存在が消えてくれたらいいのにと思うようになった。住処が離れた友人がほぼ毎日僕の悩みを聴いてくれ、一緒にゲームをしたりしていたのが、毎日の唯一気がまぎれる時だった。
さすがにマズいと思ったので心療内科にかかることにし、一応回復はした。しかし学校には行けず、アルバイトやサークルの部長などを経験するも、大学には行けなかった。その間楽しいことも時々あった。サークルの合宿や、先輩方と酒を酌み交わしたりとそういうことはしていた。だからこそ、そういう場にはのこのこ行けるのに、学校にはいけない自分が嫌だった。それを直そうとも思わない自分に絶望した。
フリースクールにも顔を出して見た。何人か僕と同じような引きこもりの人と関わったが、皆、行き場が無い。フリースクールに来て、潰れた心を立て直しても、なにか問題が解決するわけではない。かと言って、いきなり社会参加というステージに上がるのは実力不足が否めない。僕も大学に復帰する気にはなれず、ただ顔を出す日々が続いていた。フリースクールに来て3ヶ月ぐらいの人が「専門学校に行きたい」と言い出して周囲が止められていたのを思い出す。「まだ早い」と周りは言う。「人付き合いに慣れてからと言う。」当然の判断ではある。しかし、同じ人に話を聴いてもらう日々では人付き合いに慣れるとは思えなかった。そのことはフリースクールの代表の方も頭を悩ませていたように思う。
引きこもり経歴が長く、フリースクールに行って自己整理ができたといっても、次の段階の他者との交わり方を考えていくのが大変難しい。やり場の無いやる気と、いざ社会に直面した時の無力感という矛盾した負の感情を持つ。それに苛まれた時、僕の場合破れかぶれになって、社会に突っ込んで玉砕するというパターンを繰り返していた。
そのうち、「僕はどこかおかしい。根っこの部分で何か間違っている」と思うようになる。
結局、紆余曲折あり、もう大学には行けないと判断し、中退を見据えて休学する。
このままでは生きて行けないと思い、基礎的なデスクワークに必要であろう資格を取ろうと思い立つ。実家でニートをしながらも、健康な生活を続け、ごくごく初歩の資格を取りあえずは取得できた。その矢先に愚放塾のワークショップの話が舞い込んできた。
対人関係のスキルに偏りがあった僕は、次の資格をとる合間に、対人関係もなんとかなるかもしれないと思い、たまたま、幸運にも実家の近所に愚放塾があったので見学させてもらう。

翌日から通いで愚放塾に行くことを決める。

はじめは、人付き合いに難がある僕の性質を変える手がかりがないかと思い、ワークショップに参加することにした。
初日に「お前はダメなやつだよ」と冗談交じりに言ってくれたのが本当に救いになった。自分のことをどうしようもなくだらしなくてダメな人間だと行動を見ても、言動からもわかるはずなのに、家族は認めてくれなかったからだ。ここが出発点となった。自分の立ち位置を正確に見てくれて、見捨てない人が居てくれるということが安心感を生んだ。

それでもやっぱり、5日で不安から行きたくなくなるが、この不安が人付き合いを難しくしているものだと思い、とにかく行ってみようと思った。
行ってみると、やはり他人に対してぎこちない自分が居た。人間不信にもなっていて、愚放塾で疎まれないかどうかを心配していた。でも、周りの人は優しかったのでなんとかやっていけそうな気がした。色々な人から僕の知らない人生をまざまざと見せてもらい、価値観が変る。

色々な演劇的なワークの中で、自分が他人に対して足りていなかったものが見え始めてきた。今までそれが具体的にわからず苦しんできた身としては突破口が見えた気がした。演劇的なワークと言っても最初はレクリエーション程度の難度であったが、それでも鈍化していた僕の心を活性化させるには十分すぎることだった。しかし一週間ほど経つと、やはり人間不信で自己嫌悪に陥り愚放塾に行くのが嫌になった。同時に僕の心の底に横たわっている、他人との付き合いを妨げている何かが見えかけているような気もした。

そこでもう少しがんばってみようと思い通い続けた。この頃の僕は朝が特に精神的に弱い時間帯で、起きてどうしても気が乗らなくて愚放塾を休むことも時々あった。それでも朝の演劇ワークショップだけはなるべく出るようにしていたらしい。

失敗して、疲れて、落ち込んで、サボって、そうやって少しずつ演劇のワークを通して、自分の成長した点、今まで気がつかなかった感情などを出していった。
また、ブログで自分の内面を書き出していく愚放塾の方針もよかった。書かないと内面は案外わからないもので、頭でわかっていても消化しきれないことが書くことによって、納得できる形になるからだ。

演劇的ワークに関しては徐々に難度が上がっていって、常にギリギリできるかできないかぐらいのものであったので苦しい反面、毎日様々な気づきがあった。
演劇ワークは僕にとっては実社会に出るための、演習のようだった。非常に実戦的でコミュニケーションの中核を為すエッセンスが散りばめられていると思った。だからなんとか体得したかった。けれど僕のサボリ癖はでるし、すぐ疲れる。コミュニケーション力不足という現実が見えて落ち込んだり、意味のない不安に襲われたり、しまいには、木戸さんを海に蹴り落として、愚放塾を破壊しようという衝動まででてきた。そういう部分を全部表に出しても、許容してくれてワークを続けてくれたのが安心に繋がった。

このように、定期的にエンストを起こす僕の体質を受け入れてくれたことで、心置きなく自分をさらけ出すこともできた。もちろんさらけ出さない自由もあり、塞ぎこむときもあったが。僕は肉体的にも精神的にもアップダウンが激しく、ある日突然朝からこの世の終わりのような気分になって、起きたくないと思いきや、午後にはいつも以上に元気になっていたりする。そんな僕を突き放すでもなく過保護にするでもなく、皆さんがいつも通りに接してくれたことが、自分が存在を許されている気がした。

そうしている内に、『漫画「鈴木先生」の作者・武富健治氏と4日間の演劇体験!』が始まる。とにかく必死だった。せっかくの自分の内面と向き合うための場をセッティングしてくれているのだから、ここでやり切らなければ二度とこんな機会は無いと思い、思いつく限りの自分の問題点の根本部分を演劇の設定にした。自分の醜い部分、汚い部分引きずっている悔やみ、世間や親に言いたいこと、それらをきちんと、演劇の場で表現した時にはじめて自覚することになった。頭で何度も反芻したり、友人に愚痴っても出てこなかったものが出てきた。
激しい感情だった。同じ言葉でも感情の乗りかたが違う。一回きりの渾身の言葉が出る。二度と口にしなくてもいいような感じで言葉がでる。そうやって初めて自分の汚い部分を認められた気がした。数度のワークショップは僕にとっては精神的に過酷なものでありながらも、僕の表現欲求を刺激してくれて、僕が今まで見てみぬふりや、醜くて人に見せられないような部分をさらけ出す機会を与えてくれた。僕は露悪趣味があるようで、演劇のワークショップでは自分の汚い部分をみせたくてウズウズしていたことを思い出す。それをやりきったこと、必死になってやったことによって、悩みによって覆われていた、本来の自分自身と、自分が本当に問題にすべき課題が見えてきた。生きがいらしきものも初めて見えてきた。

そして気がつくと、今まででは決してやらなかったようなことをやっていた。いつの間にか自分が限界だと思っていたことを越えていたのだった。越えていたことにすら気づかず。自覚したのは2~3週間後のことだった。具体的には未来に怯え、過去を悔やみ、がんじがらめになることが無くなっていた。考え方がシンプルになり、余計なことを考えないでよくなった。その分、多少余裕ができてきた。
この時これだけ必死になれたのは、このワークショップが始まる一ヶ月前から徐々に演劇的なワークに慣れさせてくれたためだ。

そして木戸さんの教えを自分なりに解釈して「自分のなかの相反する部分、を両方大事にしたらいい。大切なのはバランスだ。一方を押さえ込むようではエネルギーを殺すことになる。」というような心への向き合い方が生まれた。所が人間はそんなに簡単に別人になれるはずも無く、それからも色々なことに挑戦し、自分で決めたことを時には投げ出し、時にはサボり、前ほどではないが不安になることもあった。突然の事にパニックになりかけたりもしたが前ほどの浮き沈みは確かに無くなっていた。

大師百年祭のイベントにチンドン屋として参加することになり、びびりながら、緊張しながらやって、やっぱり翌々日寝込んだ。一日ほど休むとまた普通の生活に無理なく帰っていき、そうしているうちにまた次の出来事が舞い込んで来る。ほふく前進しているようだと思った。だんだんと前進しているのを感じていた。この感覚を大事にしたかった。自分はゆっくりだが着実に前進している実感は僕に何かをやってみる力をくれた。

また僕は引きこもっている時から友人依存の気があったが、これが無くなっていたことにも気がついた。これは住み込みを始めて、日常生活の小さなことからやらせてくれたことが自信になり、友人依存脱却に繋がったのだと思う。例えば料理、してもよかったし、しなくてもよかった。掃除もそうだった。便所掃除などは3ヶ月たって初めてやった。全て自発をさりげなく促してくれる。こういう小さなことの積み重ねが、「無力感」を「微力感」に変えさせたのだと思う。

そしてこの未来への漠然とした不安や、過去への恨み言、後悔がなくなったことと、自分の中で微力感が生まれたことで、欲望が出てきた。僕は今まで趣味も進路も主体性が無く、「苦労して何かを手に入れるぐらいなら、何もせず何も手に入らないほうが楽でいい」と考えていたのだが、少しばかり苦労しても手に入れたいものや、やりたいことが出てきた。
年が明けてからは哲学の入門書を読んでいる。難しいが、生きる力、自分を保ちつつ世の中に順応するヒントが無数に隠されている気がする。
またそれを日常にフィードバックしていくことが僕のこれからの愚放塾での勉強だ。また、日常生活もまた勉強である。まだまだ微力でしかないが、しっかりと今を踏みしめ、自分を点検することを怠らなければ自立して生きていくことができるはずだ。

正直三ヶ月前の僕は、こんなに「気の持ちよう」が変ると思っていなかった。やる気を出すと口で言うのは簡単だが、実際はなにも情動は湧いてこないもので、三ヶ月前では今の様な生活はできないと思う。しかし、今は参ってしまって動けなくなるような精神的負担は感じていない。慣れなのかもしれないが、僕は今まで慣れるということも無く、頑なに自分の世界が崩れることを恐れていた。簡単に恐怖は消えはしないが、その恐怖を冷静に見つめ、日々を過ごすうちに少しずつ新しいことができるようになっていくのが社会復帰の足がかりになると信じている。

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塾生日記『ハイデガー入門を読むということ』れい

ハイデガー入門の『存在と時間』の章まで読み終えた。

読書期間中に心境の変化や思うことが多々あったので、感じたままを書いていこうと思う。

僕にとっての世界内存在の編み換え
ハイデガー入門を読み進めている時、燻製をしていた。各工程が思いのほかうまくいかず、かなり無理やりに燻製を推し進め、燻製もどきが出来上がった。燻製に関して一通りの行程を済ませた時、思いが霧散してしまい将来のことまで以前ほどの熱をもって考えられなくなってしまった。
ここでハイデガー入門の哲学に触れていたおかげで、なぜこんな心理になったのか深く考えることができた。木戸さんの助け舟もあり以下の様な了解を得た。

燻製器をつくるきっかけとなったのは、焼き畑をやった時に立ち上る煙を見た所からはじまる。幼い頃、縄文式の蒸し焼きの真似事をしていたことを思い出す。なんとなく昔からそういう調理法に憧れはあった。そういった僕の性格傾向が、煙を見たときに燻製を連想させ、燻製器の製作が手の届く範囲のことであることから、やってみようということになった。
僕は燻製をする形式に楽しみを見出していた。「器具を作り、密閉空間の中で熱と煙で物を燻す。」これが達成された時点で、豆炭がうまく燃えない、塩抜きが甘かった、ソミュール液がまずい…等の問題が転がっているにも関わらず、燻製に対する熱が消え去ってしまった。悪く言えば「ままごと」がしたかったのだ。おいしい燻製が食べたいであるとか、人に振舞って喜ばれたいとかそういったことを企投してのことでは無かった。

このことを了解したことで燻製器を見る目が変る。僕が燻製器を儀式の道具のように見ているのがわかった時に生まれたのは勿体無いという気持ちだった。儀式的な役割を企投されて生まれた燻製器はもともとの役割を終えていたが、僕の燻製器に対する存在了解をきちんとした時、また新たな道具存在として認識される。

儀式的に煙を出す道具にしておくには勿体無い、食べられる燻製を作れるポテンシャルを持った道具だ。
食べられる燻製ができたら、今度はおいしく作ることに注力するだろう。
そして、心からおいしいと思える燻製ができた時、人に食べてもらいたいという気持ちが生まれる。これは確信を持っている。それから後は色々試して「一生燻製をできたらいいなぁ。」となるだろう。将来的に狩猟との関わりも生まれてくるかもしれない。
ただ、ここで僕の弱気が出ているのが「人に食べてもらうためにおいしい燻製を作る」ことを最初から企投できない所だ。どうしてもできない。段階を踏んでいって、「おいしい燻製」という存在を投げかけられて、はじめて人に食べてもらいたいという企投が生まれる。
昔の僕であれば、何となく燻製器から心が離れたら、深く考えずに手を付けなくなって忘れてしまっていただろう。ここで、ハイデガー入門で学んだ、自己了解による企投や世界の編み換え、世界内存在における道具存在への配慮的気遣いなど、考えるための材料がなんとか揃っていた。今までできなかった気持ちの切り替えのようなことができるようになった。

自我への脅威
ハイデガー入門の『存在と時間』の章を読み終える頃には哲学に対して言い知れぬ窮屈さを感じていた。そんなにも、本来性や先駆的決意性を念頭において日々生きなければならないのか、僕の漫画、ゲーム、格闘技鑑賞、アニメ、歴史、映画等々の僕の本来性と関係が無く、好奇心のみで拘わっていることは全て唾棄されるべきものなのか。もしくは今まで以上にそれらについて突き詰めた思考を持つ義務を課せられるのか。そんな人生は苦しい。息が詰まりそうだ。
なにより自我の危機である。今まで価値あるものだったものが、価値なしとされてしまうからだ。本来性と関わりがないといっても、全て情状性から出てきたもので僕の一部である。
結局、非本来性を帯びたことをしてもいいと思うという考えに落ち着いた。理由は僕がいいと思っているからだ。「たい落している」とか、「ハイデガーに触れたというのになんという体たらく!」とか言われても仕方ないが、嘘偽りの無これが現時点の僕です。あまり本来性から離れたところに関わってばかりだと、そちらの連関に組み込まれ、本来性から外れていることすら忘れてしまう恐怖はあるが。

「死」について
全体性は、死の立ち位置から自分を見据えた時に見えるらしいので、自分の固有の死という問題を隠蔽し、目を逸らしながら生きることが、たい落に繋がるとハイデガーは言う。そして、隠蔽された『最も固有な最も極端な存在しうることを了解しうる可能性』、ハイデガーがいう所の「固有の死」に向き合う姿勢を「先駆」という。それは「自分が死すべき存在であることを深く自覚すること」だ。その自覚からでないと、自己の全体性が見えてこず、固有の本来性を生きる決意性を得ることができないとハイデガーは言う。僕は死の立ち位置にどうしても立てない。では僕は本来性に到達するどころか迫っていくことすらできないのか。それは嫌なので、まず「死」が関わらない小さい固有の問題から片付けていこうと思う。
例えば燻製器に関わって過ごすこと、これは僕の固有の問題である。「死」の問題に比べたら、小さい小さい問題ながら、誰でもない僕が取り組まねば納得のいかない案件だ。しかし、そこに「死への自覚」は無い。
さらに先を考えると、僕が感じられる『最も極端な存在しうること』は猟銃免許を取ることだ。そこへ目がけての企投もある。しかし、「猟銃免許を取る自分」の明確な存在了解がない。そこには曖昧性が存在するだけだ。ハイデガー的には「たい落」である。やはり「死」が意識できていないからなのかもしれない。猟銃免許をとってどうするのか。猟銃免許を取った瞬間に死んでしまうわけではないのだから、その後も恐らくは人生は続く。けれども僕が企投できるのはここまでで、語弊はあるがここまでが現時点の僕にとっての「全体」であると言いたい。それは共存在にとっての有意義性を見つけられないので今の段階では本来的とは言えない。さらに言うと、猟銃免許で自立できるわけでもない。しかし、猟銃免許を取ろうとする過程で、自分に問い続ければ曖昧性から存在了解へと変質していくはずだ。そして全体が終わるとき、きちんと了解が為されていれば、また新たな全体が見えてきて、本来性に迫る企投ができると思う。

学習したこと
ハイデガー入門から学んだのは、自己了解の大切さだ。
一個一個物事を丁寧に考え、自分にとっての何であるかを定義していかなければならない。
そこからでなければ自分の本来性に近づくための企投は生まれてこない。そして企投の先の了解も。
その営みが実存論的時間概念での「今を生きる」ことを生み出すのだから。
今はただ本分を忘れぬように自己了解し続けることだ。
ハイデガーの実存の定義、「了解しつつ存在すること。」これを丁寧にやることが大事なように思えた。これを守っていれば、少なくとも曖昧性のなかで生きることは避けられ、本来自己に到達できる可能性を持てるはずだ。

感想
人間の心の動きをここまで分解して考えられることが驚きでした。普段何気なく為されている、認知や道具の時々の捉え方などを分解して考えると、驚くほど複雑なことをしていることがわかりました。また実存論的時間概念も非常にしっくりきて、「既在」から「到来」に企投し続け、「既在」と「到来」の意味連関が生じるのが現在であるというのはストンと胸に落ちてきました。世界内存在としての自分という視点を得ることができたのが一番の変化点かもしれません。端々で「世界は内側にある。」と聞き及んでいましたが、それを一つの考え方としてすんなり受け入れることができました。
他者に関しても一方的に対象化し自分の都合のいいように自分の世界に映しこむのではなく、他者が存在してきた世界を尊重し共に認め合う姿勢が、他者の尊厳や、引いては自分の主体性を損ねない可能性を持つことを学ぶことができました。

朝、昼、夜と付き合って頂きたくさんの助言をくださった木戸さん、一人では哲学の本を手に取ることも無く、たとえ読んだとしてもここまで考えこみませんでした。稚拙で論理破綻している所はあるかもしれませんが、ハイデガー入門に関して自分なりに何か書くことは一人ではとても為し得ませんでした。ありがとうございます。まだ後期ハイデガーの章がありますが、どうかよろしくお願いします。

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塾生日記『愚放塾で3ヶ月すごして』れい

僕はあまり人生の進路を自分で考えたことが無く、大きなトラブルがあっても親が解決してくれていた。自分ではトラブルを処理できる自信が無かった。また、人間関係もたまたま恵まれていただけで、新しい場所でうまくやっていく自信が無かった。そうやって高校まで過ごしてきたが、大学に進学するにあたって、自分がとても高卒程度の精神年齢、経験、自立心を持ち合わせていると思えず、不安を抱えていた。不本意な学部を目指したのも悪かったのかもしれない。それでも、大学進学以外の進路は考えられなかったので、受験には臨み、無事合格することができた。
大学に入ってからはやはり、主体性の無さ、自己管理の甘さ、人との距離の置き方の稚拙さ、自分の在り方への自身の無さなどが原因で一学期早々出席日数不足で単位が2単位しか取れなかった。その年の冬には完全に引きこもりになっていて、日光が嫌いで、意識があるのが苦痛で、学校にも行く気にもならず、他人が怖くて、こんな自分の存在が消えてくれたらいいのにと思うようになった。住処が離れた友人がほぼ毎日僕の悩みを聴いてくれ、一緒にゲームをしたりしていたのが、唯一気がまぎれる時だった。さすがにマズいと思ったので心療内科にかかることにし、一応回復はした。しかし学校には行けず、アルバイトやサークルの部長などを経験するも、大学には行けなかった。その間楽しいことも時々あった。サークルの合宿や、先輩方と酒を酌み交わしたりとそういうことはしていた。だからこそ、そういう場にはのこのこ行けるのに、学校にはいけない自分が嫌だった。それを直そうとも思わない自分に絶望した。
フリースクールにも顔を出して見た。何人か僕と同じような引きこもりの人と関わったが、皆、行き場が無い。フリースクールに来て、潰れた心を立て直しても、なにか問題が解決するわけではない。かと言って、いきなり社会参加というステージに上がるのは実力不足が否めない。僕も大学に復帰する気にはなれず、ただ顔を出す日々が続いていた。フリースクールに来て3ヶ月ぐらいの人が「専門学校に行きたい」と言い出して周囲が止められていたのを思い出す。「まだ早い」と周りは言う。「人付き合いに慣れてからと言う。」当然の判断ではある。しかし、同じ人に話を聴いてもらう日々では人付き合いに慣れるとは思えなかった。そのことはフリースクールの代表の方も頭を悩ませていた。
引きこもり経歴が長く、フリースクールに行って自己整理ができたといっても、次の段階の他者との交わり方を考えていくのが大変難しい。やり場の無いやる気と、いざ社会に直面した時の無力感という矛盾した負の感情を持つ。
それに苛まれた時、僕の場合破れかぶれになって、社会に突っ込んで玉砕するというパターンを繰り返していた。
そのうち、「僕はどこかおかしい。根っこの部分で何か間違っている」と思うようになる。

結局、紆余曲折あり、もう大学には行けないと判断し、中退を見据えて休学する。
このままでは生きて行けないと思い、基礎的なデスクワークに必要であろう資格を取ろうと思い立つ。実家でニートをしながらも、健康な生活を続け、ごくごく初歩の資格を取りあえずは取得できた。その矢先に愚放塾のワークショップの話が舞い込んできた。対人関係のスキルに偏りがあった僕は、次の資格をとる合間に、対人関係もなんとかなるかもしれないと思い、たまたま、幸運にも実家の近所に愚放塾があったので見学させてもらう。
翌日から通いで愚放塾に行くことを決める。
9月の終わりに来塾。
初日に「お前はダメなやつだよ」と冗談交じりに言ってくれたのが本当に救いになった。自分のことをどうしようもなくだらしなくてダメな人間だと行動を見ても、言動からもわかるはずなのに、家族は認めてくれなかったからだ。ここが出発点となった。自分の立ち位置を正確に見てくれて、見捨てない人が居てくれるということが安心感を生んだ。
周囲の人に恵まれ、色々な人から僕の知らない人生をまざまざと見せてもらい、価値観が変る。
周囲の人に甘えられて安心した。楽になった。
それと、定期的にエンストを起こす僕の体質を受け入れてくれたことが、安心に繋がった。
僕は肉体的にも精神的にもアップダウンが激しく、ある日突然朝からこの世の終わりのような気分になって、起きたくないと思いきや、午後にはいつも以上に元気になっていたりする。そんな僕を突き放すでもなく過保護にするでもなく、皆さんがいつも通りに接してくれたことが、自分が存在を許されている気がした。
今はアップダウンがだんだん緩やかになってきている。発散しても良い場にいたため
今では、自分なりに、エンストを起こさないような体調管理を目指すようにまでなった。
数度のワークショップは僕にとっては精神的に過酷なものでありながらも、僕の表現欲求を刺激してくれて、僕が今まで見てみぬふりや、醜くて人に見せられないような部分をさらけ出す機会を与えてくれた。僕は露悪趣味があるようで、演劇のワークショップでは自分の汚い部分をみせたくてウズウズしていたことを思い出す。それをやりきったこと、必死になってやったことによって、悩みによって覆われていた、本来の自分自身と、自分我本当に問題にすべき課題が見えてきた。生きがいらしきものも初めて見えてきた。
やはりまだ抜けている所が多く、気遣いが足らないが、やっと肩肘張らずに自分をだせるようになれた気がする。この調子で一個一個目の前の課題を解決していって、しっかりと前進していきたい。

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塾生日記『燻製器完成』れい

2週間かかって、やっと燻製器が完成する。
12月の半ばに焼き畑をやった時、煙をみて燻製が食べたくなる。ネットで調べると、燻製器の構造は単純で作りやすいとのことなので、自作しようと思い立つ。どうせなら極力お金をかけたくないので、食品が触れない箇所は拾い物や、愚放塾の備品を拝借して部品を集める。越智さんからキレイな一斗缶を頂いたので、食品を燻す区画に使わせてもらった。年明けに部品がそろったので作り始め、調子よく通気口や燃料を出し入れする穴をボスボスあける。しかし、通機口以外の穴を密閉するのが大変で悪戦苦闘。特に燃料取り出し口は開閉できてなおかつ閉めている時は密閉状態でないといけないため、迷走する。最初は針金を通して蓋のように開閉するようにしようとしたが、全く密閉できず、スライド式にしようとしたが、僕の技術では無理だったので、結局はめ込み式になる。気になる所はアルミホイルとガムテープでグルグル巻きにして密閉。ガムテープは外側にしか貼っていないが、高温で溶け出さないか心配。また密閉も本当にうまく言っているかどうか使ってみないとわからない。
結局費用は金網を買った時の200円ちょっとしか掛からなかった。
温度計も欲しかったが、近くのホームセンターには中途半端な性能の物しかなかったので控えた。
今調べたらAmazonで燻製用の温度計が800円で売られていたのでそのうち買って取り付けようと思う。
燻製器は完成したわけだが、燻製を作る過程で干物を作らなければならず、その行程で燻製の味が決まるらしい。
ソミュール液という燻製にするものを漬け込む液体がポイントのようだ。
ソミュール液は、塩分濃度を10%~30%ぐらいにした水に、砂糖や様々な香辛料をお好みで混ぜ合わせたものだ。入れる香辛料の種類や分量によって色々な味付けが楽しめる。
燻製器を作るのも楽しかったが、ソミュール液もおもしろそうだ。
燻製をする人の数だけ千差万別のソミュール液があると思うと、工夫のしがいがある。

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塾生日記『名前について、色覚について』れい

名前について
名前を知るということは不思議なことで、物の見方が一変する。
木戸さんの知り合いの越智さんという方に、畑近辺の木や植物の名前を教わる。グミ科の植物、センダン、ノビル、シュロなど、今まで一くくりに「木」や「草」に見えていたものが、名前を知ってからは全く別の見え方をする。区切りが無かったものに区切りができ、不思議な感覚に包まれた。うれしいような、達成感のようなものだが、うまく言葉にできない感覚だ。
このように「名前」を知ることで、知覚できる世界に区切りを付けることができる。
しかし、区切りを付ける前のボーダレスな物の見方はできなくなる。それで困るのかと言われたら、そんなことは無いが、以前の感覚が失われることに勿体無さを感じる所もあったりする。

色覚について
哺乳類は紫外線が見えないが、爬虫類や鳥類、魚類は紫外線が見える。
また、シャコは他の動物では感知できない円偏向を感知できるが、人間ほど色を区別する能力が無いらしい。かなり異なった方法で外界の様子を脳で処理しているようだ。このような事実から、世の中の物質の本来の姿を見ている生き物はいないと考えられる。それぞれの生物が自分達の都合のいいように独自の感覚で物事を捉えている。世の中の本当の姿とはどのようなものなのか。また、それは感覚器官が多ければ多いほど本質に近づくような類のものなのか。
人間が観測できない物質も宇宙にあると示唆されているので、そのような性質のものが地球上にあってもおかしくない。目の前にあるパソコンの画面も実際の姿は我々は確認することができない。

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