塾生日記『トルナトーレ監督とシチリア』れい


「ニュー・シネマ・パラダイス」
イタリアで一人の映画監督が、映画に心を奪われ、映画技師と過ごした少年時代の思い出と、恋愛に燃えた青春時代を回想する物語で、名作との誉れ高い映画だ。僕も大好きな映画で、映画技師のアルフレードが、主人公トトに言った「街を出ろ。お前の本当の仕事に就け。お前に会えなくなってもかまわない、お前の噂が訊きたい。二度と戻るな」このセリフが印象的で自分にも言い聞かせているセリフだ。実行できていないが近いうちには…

先月、「もうひとつのニュー・シネマ・パラダイス~トルナトーレ監督のシチリア~」という番組が放送された。監督・ジュゼッペ・トルナトーレ監督と共にシチリアを巡って映画ゆかりの場所を訪ねていく番組だ。新聞で見つけて、ぜひ見たいと思い、母に録画を頼み今日視聴した。

劇中の映画館の様相は時代も国も違うからなのか、僕が知っているものとは大分違っている。皆賑やかで感情豊かに振舞っている。面白い場面では大笑いし、観客同士でのやかましいやり取りがあり、セリフを暗記して復唱する人まで描かれていた。このような印象的なエピソードがほぼ実話ということに驚いた。今まで演出上のことかと思っていたが、主人公、トトの映写室での振る舞いも監督自身の実話であったり、他の映画館で起こった話であったりと実際の当時の様子を相当忠実に描き出していることが、監督と共にシチリアの撮影現場を巡っていくうちに明らかになってくる。

トルナトーレ監督は父に連れられ初めて映画館に行った時から、映画に夢中になってしまった。しかし田舎であるシチリアではあまり芸術活動を満足に行える環境ではなかったらしく、青年時代の監督は、シチリア島を出て一旗あげる夢を友人と語っていた。そのような環境のシチリアで映画に対する並々ならぬ情熱を暖め、写真や演劇などにも取り組んで我武者羅に創作活動を続けた。
結局トルナトーレ監督が生地シチリア島を出てローマへと旅立ったのは28歳。そしてローマで監督デビューしてから2作目の映画がニュー・シネマ・パラダイス。30を過ぎたころの作品だ。
トルナトーレ監督はこう言った。「あまり想像力は使わなかった。」「エキストラのシチリアの人々の生の姿が一番映画に合っていた。」

多くの人々を楽しませた映画。しかし80年代、物が豊かになりテレビが普及するにつれ、映画は斜陽の時代を迎える。トルナトーレ監督は、映画が恋愛、悲劇、喜劇…架空の人生物語で人間の営みを情緒豊かに描き出し、戦中~戦後のつらい時代に人々に生きる喜びを与え、映画館内での乱痴騒ぎや歓喜の声を生み出したことや、それが日ごろの憂さを晴らし、明日を生き抜く力になっていたことを肌で感じていた。
そして今日も、映画はそれだけの力を持ち続けている芸術だ。監督はそのことを市井の人々の日常と映画との関わりを描くことで浮き彫りにしたかったのだろう。
それはシチリアで溜め込み、熟成させた映画への情熱と、映画が廃れていく時流がぶつかり合いできあがった、映画賛歌であると共に、映画のようにうまくいかない人生を乗り越えてこそ、人々の情動に訴えかけるなにかを為せるということも伝えているように思える。
アルフレードのセリフでこんなものがある。
「人生は映画とは違うんだ。人生はもっと厳しいものだ。」
シチリアで彼女とのささやかな幸せを望むトトへの厳しい一言である。アルフレードはトトの本分が映画にあると考え、安易に地元で暮らすことは彼のためにならないと考えたのだ。
何かを志すとは映画のようにはいかない。映画は人生の糧となるが、人生そのものには成りえない。例え映画監督や脚本家を目指す人にとっても。
たくさん苦労して、たくさん悩み、色々な経験をしてやっと人々の心を打ち、明日を生きる映画を生み出すことができる。そういう監督のメッセージだと思っている。

劇中の人々のエキストラの人々は本当に楽しそうで、見ているこちらも生命力を刺激される気がする。それは日々を一生懸命生きている人々の人生の上澄みがこぼれ出して、フィルムに活写されているからだと思う。

トルナトーレ監督は番組の最後にこう締めくくった。
「生まれかわるなら、またシチリアに生まれたい。なぜなら僕はここで幸福な少年時代を過ごしたから。」
余談だが、この映画はエンニオ・モリコーネの音楽が絶妙にマッチしていると感じる。音楽抜きにこの映画を語ることは僕にはできない。もう聴いただけで行ったこともない、シチリアの片田舎の風景が郷愁と共にうかんでくる。セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタンの映画音楽で有名な作曲者だが、この映画とワンス・アポン・タイム・イン・アメリカの音楽は力の入れようが違うように思える。

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