塾生日記『愚放塾で3ヶ月すごして』れい


僕はあまり人生の進路を自分で考えたことが無く、大きなトラブルがあっても親が解決してくれていた。自分ではトラブルを処理できる自信が無かった。また、人間関係もたまたま恵まれていただけで、新しい場所でうまくやっていく自信が無かった。そうやって高校まで過ごしてきたが、大学に進学するにあたって、自分がとても高卒程度の精神年齢、経験、自立心を持ち合わせていると思えず、不安を抱えていた。不本意な学部を目指したのも悪かったのかもしれない。それでも、大学進学以外の進路は考えられなかったので、受験には臨み、無事合格することができた。
大学に入ってからはやはり、主体性の無さ、自己管理の甘さ、人との距離の置き方の稚拙さ、自分の在り方への自身の無さなどが原因で一学期早々出席日数不足で単位が2単位しか取れなかった。その年の冬には完全に引きこもりになっていて、日光が嫌いで、意識があるのが苦痛で、学校にも行く気にもならず、他人が怖くて、こんな自分の存在が消えてくれたらいいのにと思うようになった。住処が離れた友人がほぼ毎日僕の悩みを聴いてくれ、一緒にゲームをしたりしていたのが、唯一気がまぎれる時だった。さすがにマズいと思ったので心療内科にかかることにし、一応回復はした。しかし学校には行けず、アルバイトやサークルの部長などを経験するも、大学には行けなかった。その間楽しいことも時々あった。サークルの合宿や、先輩方と酒を酌み交わしたりとそういうことはしていた。だからこそ、そういう場にはのこのこ行けるのに、学校にはいけない自分が嫌だった。それを直そうとも思わない自分に絶望した。
フリースクールにも顔を出して見た。何人か僕と同じような引きこもりの人と関わったが、皆、行き場が無い。フリースクールに来て、潰れた心を立て直しても、なにか問題が解決するわけではない。かと言って、いきなり社会参加というステージに上がるのは実力不足が否めない。僕も大学に復帰する気にはなれず、ただ顔を出す日々が続いていた。フリースクールに来て3ヶ月ぐらいの人が「専門学校に行きたい」と言い出して周囲が止められていたのを思い出す。「まだ早い」と周りは言う。「人付き合いに慣れてからと言う。」当然の判断ではある。しかし、同じ人に話を聴いてもらう日々では人付き合いに慣れるとは思えなかった。そのことはフリースクールの代表の方も頭を悩ませていた。
引きこもり経歴が長く、フリースクールに行って自己整理ができたといっても、次の段階の他者との交わり方を考えていくのが大変難しい。やり場の無いやる気と、いざ社会に直面した時の無力感という矛盾した負の感情を持つ。
それに苛まれた時、僕の場合破れかぶれになって、社会に突っ込んで玉砕するというパターンを繰り返していた。
そのうち、「僕はどこかおかしい。根っこの部分で何か間違っている」と思うようになる。

結局、紆余曲折あり、もう大学には行けないと判断し、中退を見据えて休学する。
このままでは生きて行けないと思い、基礎的なデスクワークに必要であろう資格を取ろうと思い立つ。実家でニートをしながらも、健康な生活を続け、ごくごく初歩の資格を取りあえずは取得できた。その矢先に愚放塾のワークショップの話が舞い込んできた。対人関係のスキルに偏りがあった僕は、次の資格をとる合間に、対人関係もなんとかなるかもしれないと思い、たまたま、幸運にも実家の近所に愚放塾があったので見学させてもらう。
翌日から通いで愚放塾に行くことを決める。
9月の終わりに来塾。
初日に「お前はダメなやつだよ」と冗談交じりに言ってくれたのが本当に救いになった。自分のことをどうしようもなくだらしなくてダメな人間だと行動を見ても、言動からもわかるはずなのに、家族は認めてくれなかったからだ。ここが出発点となった。自分の立ち位置を正確に見てくれて、見捨てない人が居てくれるということが安心感を生んだ。
周囲の人に恵まれ、色々な人から僕の知らない人生をまざまざと見せてもらい、価値観が変る。
周囲の人に甘えられて安心した。楽になった。
それと、定期的にエンストを起こす僕の体質を受け入れてくれたことが、安心に繋がった。
僕は肉体的にも精神的にもアップダウンが激しく、ある日突然朝からこの世の終わりのような気分になって、起きたくないと思いきや、午後にはいつも以上に元気になっていたりする。そんな僕を突き放すでもなく過保護にするでもなく、皆さんがいつも通りに接してくれたことが、自分が存在を許されている気がした。
今はアップダウンがだんだん緩やかになってきている。発散しても良い場にいたため
今では、自分なりに、エンストを起こさないような体調管理を目指すようにまでなった。
数度のワークショップは僕にとっては精神的に過酷なものでありながらも、僕の表現欲求を刺激してくれて、僕が今まで見てみぬふりや、醜くて人に見せられないような部分をさらけ出す機会を与えてくれた。僕は露悪趣味があるようで、演劇のワークショップでは自分の汚い部分をみせたくてウズウズしていたことを思い出す。それをやりきったこと、必死になってやったことによって、悩みによって覆われていた、本来の自分自身と、自分我本当に問題にすべき課題が見えてきた。生きがいらしきものも初めて見えてきた。
やはりまだ抜けている所が多く、気遣いが足らないが、やっと肩肘張らずに自分をだせるようになれた気がする。この調子で一個一個目の前の課題を解決していって、しっかりと前進していきたい。

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