塾生日記『名前について、色覚について』れい


名前について
名前を知るということは不思議なことで、物の見方が一変する。
木戸さんの知り合いの越智さんという方に、畑近辺の木や植物の名前を教わる。グミ科の植物、センダン、ノビル、シュロなど、今まで一くくりに「木」や「草」に見えていたものが、名前を知ってからは全く別の見え方をする。区切りが無かったものに区切りができ、不思議な感覚に包まれた。うれしいような、達成感のようなものだが、うまく言葉にできない感覚だ。
このように「名前」を知ることで、知覚できる世界に区切りを付けることができる。
しかし、区切りを付ける前のボーダレスな物の見方はできなくなる。それで困るのかと言われたら、そんなことは無いが、以前の感覚が失われることに勿体無さを感じる所もあったりする。

色覚について
哺乳類は紫外線が見えないが、爬虫類や鳥類、魚類は紫外線が見える。
また、シャコは他の動物では感知できない円偏向を感知できるが、人間ほど色を区別する能力が無いらしい。かなり異なった方法で外界の様子を脳で処理しているようだ。このような事実から、世の中の物質の本来の姿を見ている生き物はいないと考えられる。それぞれの生物が自分達の都合のいいように独自の感覚で物事を捉えている。世の中の本当の姿とはどのようなものなのか。また、それは感覚器官が多ければ多いほど本質に近づくような類のものなのか。
人間が観測できない物質も宇宙にあると示唆されているので、そのような性質のものが地球上にあってもおかしくない。目の前にあるパソコンの画面も実際の姿は我々は確認することができない。

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